はじめまして
“カムカムブルーベリーかんおんじ”
園主の森谷 崇正です。
「日々の暮らしに、小さな感動を。」
そんな思いを胸に、今、香川県観音寺市でブルーベリー狩りができる
観光農園をつくっています。

家族や大切な人と、ふらっと訪れて、笑って、味わって。
ちょっとだけ特別な思い出を持ち帰ってもらえるような——
この田舎町・観音寺に、“小さなテーマパーク”のような
ワクワクする場所をつくりたいと思っています。
2026年の夏、みなさまの笑顔にお会いできる日を、心より楽しみにしています。
園主 森谷 崇正
・名前:森谷 崇正(もりたに たかまさ)
・1982年生まれ/3児の父
・出身:香川県観音寺市
・趣味:イカ釣り、旅行、音楽、ラジオ
どうしてブルーベリー農園を始めようと思ったのか。
どんな想いでこの場所をつくっているのか。
よければ、もう少しだけお付き合いください。
ひと粒に、思いをのせて
ー 農園に込めた想い ー
なぜ安定を手放したのか?
私は長年、公務員として、ダムや橋などのインフラ整備に携わってきました。
特にダム建設を担当していた頃は、「いいダムを造る!」という強い思いを胸に、毎日が無我夢中で、本当に仕事が楽しくて仕方がありませんでした。
自分の思いが形になって人の役に立つ。その実感が、働くことの喜びを教えてくれたのです。
ただ、年齢を重ねるうちに、組織から求められる仕事と、自分のやりたいこととの間に、少しずつギャップを感じるようになっていきました。
“自分の思い”を仕事に込めるのが、次第に難しくなっていったのです。
いつしか、「まあ、いいか」と自分自身に言い聞かせるようになり――そんな自分に、寂しさと悔しさが募っていきました。
「いつかまた、“思いのある仕事”ができるのか?」
何度問いかけても、答えは見つかりませんでした。
とはいえ、土木一筋で生きてきた自分が、3人の子育てをしながら、公務員という安定を手放していいのか。
生活も、家族も、どう守ればいいのか――。
心に蓋をしたまま、目の前の業務を淡々とこなす毎日。
私は、出口の見えない長いトンネルの中を、何年もただ黙々と歩き続けていました。


転機は突然やってきた
2023年の夏、突然のけがで右腕を骨折し、思いがけず入院生活を送ることに。コロナ禍で家族とも会えず、孤独な病室でたまたま観た一本のYouTube動画が、私の人生を大きく動かしました。
それは「ブルーベリー観光農園で脱サラ起業した方」のドキュメンタリーでした。
自分のやりがいを見つけて挑戦する園主の輝く目。
大粒のブルーベリーを頬張るお客さんの笑顔。
その二つの姿に、心を強く打たれました。
「これだ!」――直感でそう思ったんです。
退院後すぐ、右腕に包帯を巻いたまま、徳島のブルーベリー農園を訪ねました。初めて食べた養液栽培の完熟ブルーベリーは、想像を超えるおいしさでした。
そして、子どもたちが、笑顔で摘み取って食べる姿を見たとき、
「もう一度、思いを込めた仕事ができるかもしれない。」そう感じた瞬間、長く続いた暗いトンネルの先に、ようやく一筋の光が見えた気がしました。
日々の暮らしに、小さな感動を
どんな農園をつくろうか――
そう考えると、わくわくしました。
最初に思い浮かんだのは、
「おいしいブルーベリーを作って、お客様に感動してもらいたい」という、シンプルな願いでした。
農業はまったくの未経験。
知識ゼロから、先輩農家さんのオンライン講座やYouTubeで学び、2024年の冬には、自宅の横で20本の苗木を育て始めました。
そして、ブルーベリーの故郷、北米の理想的な生育環境を再現するため、養液栽培という技術を選びました。
この農園で私は、「日々の暮らしの中に、ふと心が動く瞬間を届けたい」と思っています。
どれにしようかとワクワクしながら、一粒を選ぶとき。
摘みたてのブルーベリーを口にして、思わず笑顔がこぼれたとき。
その笑顔を見た家族や大切な人が、そっと微笑むとき。
そんな一つひとつの“瞬間”に、私の思いを重ねながら、一粒一粒、心を込めて育てていきます。
この場所が、みなさまにとっての”特別な場所”になれたらーーそれが、私の願いです。


このまちに、新しい風を
農園の準備を進めるなかで、私の中にもう1つの思いが芽生えてきました。
それは、地元・観音寺に“新しい風を吹き込みたい”という思いです。
大学進学から24年間離れていた観音寺は、かつての賑わいを失い、商店街も静かになっていました。
観光農園をどこで始めるか考えたとき、収益や集客だけを考えれば、高松などの都市近郊の方が有利でしたが、私は迷いなく、”観音寺”に決めました。
私は故郷である観音寺に、自分の”思い”を重ねたかったんです。
生まれ育ったこの土地で、子どもたちの笑顔や、家族の思い出が生まれるような、わくわくする場所をつくりたい。
観音寺には魅力的な場所がいっぱいあります。
この農園が、この地域の魅力に触れるきっかけになれたらーー。そんな願いをこめて。
私が選んだ“思いをもって働く”ということ。
それは、自分自身の心が動く場所で、誰かの心にも何かを届けること。
この観音寺の地で、その思いを一つ一つ丁寧に、形にしていきたいと思っています。
この場所で、みなさまが笑顔になる瞬間を、一緒に迎えられることを楽しみにしています。
なぜ安定を手放したのか?


とはいえ、土木一筋で生きてきた自分が、3人の子育てをしながら、公務員という安定を手放していいのか。
生活も、家族も、どう守ればいいのか――。
心に蓋をしたまま、目の前の業務を淡々とこなす毎日。私は、出口の見えない長いトンネルの中を、何年もただ黙々と歩き続けていました。
転機は突然やってきた
2023年の夏、突然のけがで右腕を骨折し、思いがけず入院生活を送ることに。コロナ禍で家族とも会えず、孤独な病室でたまたま観た一本のYouTube動画が、私の人生を大きく動かしました。
それは「ブルーベリー観光農園で脱サラ起業した方」のドキュメンタリーでした。

自分のやりがいを見つけて挑戦する園主の輝く目。
大粒のブルーベリーを頬張るお客さんの笑顔。
その二つの姿に、心を強く打たれました。
「これだ!」――直感でそう思ったんです。
退院後すぐ、右腕に包帯を巻いたまま、徳島のブルーベリー農園を訪ねました。初めて食べた養液栽培の完熟ブルーベリーは、想像を超えるおいしさでした。
そして、子どもたちが、笑顔で摘み取って食べる姿を見たとき、
「もう一度、思いを込めた仕事ができるかもしれない。」
そう感じた瞬間、長く続いた暗いトンネルの先に、ようやく一筋の光が見えた気がしました。

日々の暮らしに、小さな感動を
どんな農園をつくろうか――
そう考えると、わくわくしました。
最初に思い浮かんだのは、
「おいしいブルーベリーを作って、お客様に感動してもらいたい」という、シンプルな願いでした。
農業はまったくの未経験。
知識ゼロから、先輩農家さんのオンライン講座やYouTubeで学び、2024年の冬には、自宅の横で20本の苗木を育て始めました。
そして、ブルーベリーの故郷、北米の理想的な生育環境を再現するため、養液栽培という技術を選びました。

この農園で私は、「日々の暮らしの中に、ふと心が動く瞬間を届けたい」と思っています。
どれにしようかと、ワクワクしながら、一粒を選ぶとき。
摘みたてのブルーベリーを口にして、思わず笑顔がこぼれたとき。
その笑顔を見た家族や大切な人が、そっと微笑むとき。

そんな一つひとつの“瞬間”に、私の思いを重ねながら、一粒一粒、心を込めて育てていきます。
この場所が、みなさまにとっての”特別な場所”になれたらーーそれが、私の願いです。
このまちに、新しい風を
農園の準備を進めるなかで、私の中にもう1つの思いが芽生えてきました。
それは、地元・観音寺に“新しい風を吹き込みたい”という思いです。
大学進学から24年間離れていた観音寺は、かつての賑わいを失い、商店街も静かになっていました。

観光農園をどこで始めるか考えたとき、収益や集客だけを考えれば、高松などの都市近郊の方が有利でしたが、私は迷いなく、”観音寺”に決めました。
私は故郷である観音寺に、自分の”思い”を重ねたかったんです。

生まれ育ったこの土地で、子どもたちの笑顔や、家族の思い出が生まれるような、わくわくする場所をつくりたい。
観音寺には魅力的な場所がいっぱいあります。
この農園が、この地域の魅力に触れるきっかけになれたらーー。そんな願いをこめて。

私が選んだ“思いをもって働く”ということ。
それは、自分自身の心が動く場所で、誰かの心にも何かを届けること。
この観音寺の地で、その思いを一つ一つ丁寧に、形にしていきたいと思っています。
この場所で、みなさまが笑顔になる瞬間を、一緒に迎えられることを楽しみにしています。